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週刊現代4月6日号「人間死んだらどうなるのか」の記事を読んで

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 週刊誌でも真面目にこういうテーマを取り上げるようになったというのは、時代の要請でもあろうが、率直に評価したい。

 記事では各界の著名な人にそれぞれの立場から「死後の世界」の存在の有無、その理由などを語らせているが、「ある」こと自体はもう大体わかってんじゃないの?お奨めはできないが、心霊写真、心霊ビデオなど見れば即効で理解できるのではないのか?もっとも全部インチキだと意地でも認めない向きもあろうが。そういう向きはせいぜい目を皿にして、インチキ見破りに奔走されたい。わしゃ知らん。

 しかし「死後の世界」が本当にあるなら、客観的な物言いをしている場合ではなくなる。なんとなれば、いずれ必ず自分も行く羽目になるのだから。この深刻さが理解できるだろうか。記事でスピリチュアリストの江原啓之が「亡くなっても世界は生きているときとほとんど変わらないので、死んだ人はまず、戸惑うんですね。でも次第に、自分の葬儀を見たりして、死を受け入れていきます。その中で『生きている間にもっとこうしておけばよかった』などと悔やみ始める人もいる。」と紹介している。むろん正しいのだろうが、あえてやんわり表現したことによって、誤解が生まれるかもしれない。実際その衝撃は、何の準備もなしに宇宙空間に放擲されたようであろう。帰るべき肉体がないとは、唖然呆然の世界である。

 その死後の世界だが、腕力や経済力や、肩書きがそのまま通用する世界ではないことは明らかだろう。もう既にこれらの価値感が拠って立つ物質である肉体を脱ぎ捨てているのだ。ではどういう価値感によって成り立っている世界なのか。またなぜそういう世界がなければならないのだろうか?

 人はまず母の胎内に生命が宿り、現世に生まれ出て生きていくための準備をする。すなわち骨格や呼吸器官、臓器、感覚神経などが形成される。これが不完全なら、不具者として生まれたり、死産となってしまう。では、現世の次の世界があるとすれば、まさに現世は次の世界で生きるための準備期間となる。ではどういう準備をするのか。死後の世界は、もう二度と死なない(死ねない)世界であり、永遠に生きる世界である。その永遠の世界で生きるに相応しい価値感とは何か自らの本心に聞いてみられよ。おのずと答えは明らかだ。胎中期間と違うのが、自らの責任においてそれを感得し、成し遂げなければならないということだろう。

 一昨年の東日本大震災を経て、日本人のみならず世界中が、「遺伝子のスイッチがオン」(村上和雄)となり、価値感のパラダイム転換が起きる時代を迎えていることをひしひしと感じるが、週刊現代のこの企画も人々の本心を啓発するいい機会となろう。しかし一方でいまだに巻末の袋とじ付録で男性購読客を釣ることは止められないようだ。はっきり言う。両立はできない。どちらかとっとと引っ込められよ。


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