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Channel: 世日クラブじょーほー局
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NHKスペシャル「魂の旋律 音を失った作曲家」をみて

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 佐村河内守。彼は17歳から聴覚が低下し始め、35歳で完全に音を失った作曲家だ。現在49歳というから、何も聞こえなくなってから14年が既に経つ。昨年発表した交響曲第一番「HIROSHIMA」が7万枚のセールスを記録し、その名を轟かせた。現代のベートーベンとも謳われる。

 しかし音を聞くことなしに、作曲するとはにわかに信じがたく、理解できない。むろん彼は小さい頃から作曲家を目指して、35歳まで積み上げてきたものがある。いずれ聞こえなくなることを自覚し、残された時間で「絶対音感」を自らに刻み込んだ。

 佐村河内のその曲作りは困難を極める。彼はただ音が聞こえないというだけでなく、絶え間なく激しい耳鳴りがほぼ24時間365日襲ってくるのだという。それで彼は立っていることすら出来ず、1週間の半分は横になったままで、15種類ほどの薬によって症状を押さえ、わずかな体調の良い時に譜面に向かう。激しいノイズの中で、降りてくる旋律を聴覚を使わずに、確認し、譜面に音符を落としていく。むろん楽器など使わない。交響曲ともなれば、20種類以上の楽器の旋律を意識の中で奏で、重ね合わせる。これはほとんど信じられない世界だ。彼にしかできない神業とも言えるが、彼とてスーパーマンではない。同じ生身の人間である。東京大学の教授で、福島智という人がいるが、彼は目が見えず耳も聞こえない。しかし奥様が彼の両手の上に手を重ねキーボードを叩くようにして同時通訳し、健常者と変わらないほどの会話ができる。これも驚異的だ。彼らを見ると、そこには人間の計り知れない力、神秘さを感じずにはおれない。動物がいかに人間より優れた能力をもっていても、このようなことは絶対不可能なのだ。

 聴力を失い、絶望に駆られた佐村河内は、障害者との交流を通じて、絶望を希望へと変えていったのだという。

 今年、彼は東日本大震災の被災地のためのレクイエムを作曲した。その作曲過程で彼は、犠牲者の名簿の一覧表を手に、一人一人の名前を指でなぞりながら、その無念の思いを汲みとろうとする。そしてこのレクイエムを自分に書く資格があるのかと自らに問うのだ。この彼の痛ましいほどに純粋で人を思いやるセンスはどこからきたのか。これは常人には及びもつかない「痛み」を共有したことにほかなるまい。

 彼にとって作曲活動こそは生きる望みだ。しかし同時にそれは耐え難い苦痛でもあるのだ。命を削る作業である。彼はこの二律背反の十字架を背負って生きて行く。こう想像してみる。もし近い将来、医療技術の進歩により彼の聴覚が恢復することが可能となったら、どうだろうと。彼は地獄のような耳鳴りから解放され、むろん愛する妻の声を聞くことができ、自ら作曲した曲も存分に聴ける。しかし同時に彼は、その障害とワンセットだったものを失うということに直面し、たじろぐのかもしれない。人間にとっての幸、不幸は一概に設定されるものでない。

 ともかくも彼を通じて、人間の本性というべき姿を見せ付けられた思いがする。人には損得勘定なしに苦痛をおして、命を削っても得るべき価値が存在する。これをただ自己欲を満たして得られる喜びに比べられようか。これこそ動物とは違う、人間という存在の本質だろう。

 この番組をみて、彼と同じ時代に生を受け、同じ空気を吸って生きる者でありながら、些細なことに悩み、とかく弱音を吐きがちな自らを恥じ入らずにはおれなかった。小さくても自らがやれることを懸命にやっていくことこそ彼と同時代に生きた同胞としての務めだろう。

佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA/日本コロムビア

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