世界一のファストフードチェーン「マクドナルド」を築き上げた男、その名はレイ・クロック。タイトルの「ファウンダー」とは創業者の意。でも「マクドナルド」の屋号はどこから? 実は、商品であるハンバーガーもその製造過程の徹底マニュアル化されたシステムや、テイクアウトオンリー(当時)という提供スタイルも何もかんもぜーんぶ、元々、”マクドナルド”という苗字の兄弟(マックとディック)によって生み出されたもの。彼らは、カルフォルニア州サンバーナーディーノの本店を中心として、小規模ながら支店も数店展開して、人気を誇っていた。時に1954年のこと。もっとも立ちどころに成功したわけではなく、何度も失敗を繰り返しながら、ようやくたどり着いた兄弟の汗と涙の結晶だった。ただ彼らはこれ以上事業を広げるつもりはなかった。
そんな折、当時シェイクを作るマルチミキサーの営業に飛び回っていたレイの元へ、一度に6台もの発注をしてきたのがマクドナルド兄弟で、これは何かあると直感したレイが店を訪ねてきたのが運のつき。ま、早い話が、はい、乗っ取りです。兄弟の脇の甘さも見逃せないが、公平を期せば、レイの存在なくして今日、我々は安価で手軽なハンバーガーの恩恵に預かれていなかったのも事実。ともかくもアメリカンドリームとやらは、燃え上がる野心はもとより、時に冷酷さなくしては土台無理ということか。
ところでレイが毎晩、成功哲学を吹き込んだレコードを聴きながら、成功するための秘訣とは、「根気」だと繰り返し伝えるのは、今でもそれを生業とする者として、共感するところ。ただレイは、兄弟のシステムを模倣して別の屋号で一から始めるというやり方を取らなかった。”マクドナルド”という響きがアメリカ人好みで他をもって代えがたいとして、兄弟の虎の子の店に土足で上がり込んで、最後は追い出すという電通の鬼十則も真っ青の厚顔無恥ぶりを晒した。
レイ・クロックの自伝「成功はゴミ箱の中に」のカバーには、ユニクロの柳井正社長とソフトバンクの孫正義社長のツーショットが載り、「これが僕たちの人生のバイブル!」とあるが、世界に冠たるグローバル企業となり、日本では「マック」の愛称で親しまれているマクドナルドの出発点には、レイ・クロックという機を見るに敏なビジネスマンによる触れてはならぬ消せない汚点が存在した。生き馬の目を抜く飲食産業なんてこんなものよと開き直られては困る。日本の「モスバーガー」はハンバーガーをスローフード化して、”出来立て”ならではのクオリティを実現。今現在、マックほどの売上ではないにせよ、業界で不動の地位を築いている。なお高齢者を積極的に雇って接客にあてている点もユニーク。とまれ、商売成功の秘訣は、効率化やスピーディさやデータ至上主義だけにあらず。政府の成長戦略にも、「稼ぐ力」のキーワードが躍るが、それだけを推し進めれば日本中がレイ・クロックであふれる返るだけだろう。プラスアルファの付加価値が必要。
「本来、資本主義社会における会社(企業)は、地球(環境)、地域社会、顧客、仕入先、従業員、経営者、そして株主というステークホルダーの間でバランスをとらなければならない。」(三橋貴明著「亡国の農協改革」飛鳥新社)=「公益資本主義」という考え方こそ今の日本に必要だろう。ただ、当方のマック通いは当分やめられまいが。