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Channel: 世日クラブじょーほー局
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映画「遺体」を観る

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 2011年3月11日。あの日からはや2年を迎えようとしている。今や被災地を除けば概ね平穏な日常を取り戻し、あの忌まわしい記憶も徐々に薄れつつある。だが被災地はそうはいかない。家族や友人、知人を亡くした方、家や財産を失った方、原発事故の影響で故郷を追われた方など、まだまだ現在進行形の問題であり、復興は遅々としている。

 しかし、いずれ被災地の方々も悲しみや苦しみが和らぎ、その記憶が薄れゆく時が来るし、またそうでなければ救われなくなってしまう。無論この未曾有の天災を体験することで得られた多くの貴重な教訓が後世に生かされなければならない。しかしそうは言っても、この地震大国は待ってはくれない。南海、東南海、東海地震あるいは首都直下型地震などかなり高い確率でこれから30年以内に起こるといわれる。あの忌まわしい記憶は数年内、否明日にでも上書きされることになるかもしれない。

 ともかくこういう時に本作は公開された。あの日あの時、被災地を中心として確かに日本中が困難に直面した。しかし時を同じくして、岩手県釜石市の廃校となった中学校の体育館が津波の犠牲者の遺体安置所となり、皆が余震の恐怖に怯え、むろんこれから先のことは誰もわからないという状況で、自分の事情をかなぐり捨ててその安置所に入り、必死に活動した人々がいた。言葉は悪いが、その現場は阿鼻叫喚だ。そういう中で、次々と運びこまれてくる無数の遺体と向き合い、足りない棺を駈けずり回って調達し、納棺し送り出すまで、遺族に寄り添い、涙と汗とあたたかい心を手向けてくれた人々がいたということを伝えてくれた原作者の石井光太氏に感謝したい。

 “一隅を照らす光”であることこそジャーナリズムの本領だとすれば、この映画は余すところなくそれが貫かれている作品といえよう。

 本作の中心的メッセージが込められたといえるシーンがある。市の職員である平賀(筒井道隆)が、主人公の民生委員である相葉(西田敏行)に、

「なぜ遺体に話しかけるんですか?」と尋ねる。

 相葉がひたすら遺体に話しかける光景は、こちらは観ていて特段何も違和感はないのだが、彼には不思議に思えたのだった。そして相葉からの答えが、

「そうすることでご遺体が、人間としての尊厳を取り戻せる」と。

 安置所に運ばれてくる遺体は、みな泥だらけで、不自然な形で死後硬直したままだったり、身元もわからない。現場で活動する人々も極限状態だったこともあろう、ご遺体を雑に扱う様子が写されていた。そんな現場を相葉が中心となって、切り盛りしていく。常時清掃に努め、ご遺体に手を合わせ、言葉を語りかける。むろん物資も電気もなく、泥だらけの床と悲痛なる状況に変わりはないのだが、阿鼻叫喚の現場が、相葉らの必死な訴えと献身によって、「生ける者」と「死せる者」との“絆”を取り結ぶ神聖な空間となっていくようだった。

 あの日を忘れまい。あの人たちを忘れまい。

 最後に一言、この映画観るべし!


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