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Channel: 世日クラブじょーほー局
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映画「風立ちぬ」を観る

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 さすがに話題作とあって、すでに方々で、本作への賛否が論じられている。当方はジブリ作品を劇場で鑑賞するのは、「千と千尋の神隠し」以来。監督の宮崎駿が自身の作品の試写を観て初めて泣いたという逸話もいよいよ期待を高めた。

 実際はどうか?ぶっちゃけ当初期待した零戦の勇姿は、二郎の夢の中の回想シーンでほんのちょっと登場するだけ。これは年末公開の「永遠のゼロ」に委ねたとみよう。もちろんそんなはずはないが…。

 本作は、少年時代から零戦開発までの堀越二郎半生記。しかし事実を忠実に再現するものでなく、人物としての二郎も、作家の堀辰雄をごちゃまぜにした存在。またストーリーに夢の中の世界が頻繁に入り込み、どちらかといえばやはりジブリらしく、ファンタジックな映画だ。

 堀越二郎が人生を経る中で、関東大震災が発生し、最後は大戦へと突入していくのだが、確かに二郎の純粋さ、一途さ、強い正義感が描かれ、シンプルだけど現代人が忘れていた古き良きものに触れた思いがして、心を揺さぶられた。でも逆に二郎のヘビースモーカーぶりと妻菜穂子とのキスや抱きあうシーンがやたら目につき、(この場面を描くのはいいけど多すぎるよ)その部分で相殺されるようで残念だった。

 どう言い繕っても腑に落ちないのは、ラストシーン。先の大戦での戦闘シーンは全てすっ飛ばして、いきなり敗戦となり、しかもこれも現実ではなく、夢の中の回想シーンとなっていて、刀折れ矢尽きて無残な残骸を晒す零戦の墓場のような光景を前にして、二郎が尊敬するイタリア設計家カップローニと語らう中で、カップローニが「死力を尽したか」との問いに、二郎は達観したように非常にサバサバと「最後はズタズタでした」などと言い放ち、一筋の涙さえ見せない。自らが設計した戦闘機に乗り込んで死力を尽くして戦い、国に殉じていった若き兵士たちに熱い思いが込み上げることもない。感謝や哀悼の片言隻語さえない。あるのは妻菜穂子への思いだけであり、そして「生きねば」と結ぶのだ。無類の戦闘機好きで、大の戦争嫌いという宮崎らしいといえば、それまでだ。

 さて、アニメは今やフルCGが主流でしょうが、大正から昭和にかけての時代性や、当時の日本の美しい田園風景などは、手描きのセル画がやはりピッタリくるし、実際まぶしいくらい美しい映像となっていました。ジブリ作品は、宮崎の信念で今後もこれは続けられていくでしょう。

 また今回の主題歌は荒井ユーミンの「ひこうき雲」。当方が好きなユーミンの楽曲の中でもベスト5に入る名曲です。これを聴いて‘懐かしい’という声も聞いたが、当方などウォークマンで今でもしょっちゅう聴いている。先週の「女性セブン」にこの「ひこうき雲」にまつわる記事があったが、16歳で早世したユーミンの同級生をモチーフに作った曲だ。

“空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲”

 荒井ユーミンの曲は、少女を色濃く引き摺り、幼気でガラス細工のような感性に満ちている。ジブリ作品でいえば、「魔女の宅急便」の主題歌となった「やさしさに包まれたなら」は素晴らしくマッチしていた。また「あの日に帰りたい」「卒業写真」はいうまでもありませんが、「空と海の輝きに向けて」「海を見ていた午後」「朝陽の中で微笑んで」「ベルベット・イースター」「雨の街を」「さみしさのゆくえ」などなどマイフェイバリットソングスが数多くあります。松任谷ユーミンの曲ももちろん良いのですが、バブル期を頂点にしたトレンディシーンを牽引してきたごとく、全てをわかってしまった人間中心の音楽のようであるのに対して、荒井ユーミンのそれは、見えないものを見ようとしているようである。まさに「小さい頃は神さまがい」たのだ。全く当方の勝手な解釈。 

 それはともかく、「風立ちぬ」を鑑賞する前は、「ひこうき雲」が主題歌でしっくりくるなと思ったのですが、いざ蓋を開けてみると案外違和感たっぷりだった。もともと特攻隊とはシンクロしないまでも、死が絶望でなく、新たな世界への旅立ちであり、大空のキャンバスを通じて、残された者の心にいつでも蘇ることができるという希望を与えて欲しかったが、ラストがあれでは活きてこないんじゃないか。ユーミンには悪いが無理があった。自分の中では映画の本編と主題歌がブッツリと切り離されて記憶された。

 ともかくあとは、「永遠のゼロ」に期待!


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