狼の牙を折れ: 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部/小学館
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今から39年前の1974年(昭和49年)に起きた「三菱重工本社ビル爆破事件」。死者8人、重軽傷者376人という史上空前のテロ事件だった。本書はこの事件の捜査に直接係った公安捜査官を実名で登場させ、当時どのセクトにも属さない謎の犯人グループとされた“東アジア反日武装戦線”への極秘捜査のディテールを丹念に、かつ余すところなく描写した著者渾身のノンフィクション・ドキュメント。その筆致は、知られざる捜査現場の瞬間瞬間を読み手の目の前に鮮明に浮かび上がらせていく。
思えば70年代は日本もテロリズムの時代だった。71年に赤軍派と京浜安保共闘が合流し、連合赤軍結成。72年にその連合赤軍によるあさま山荘事件発生。同年日本赤軍によるイスラエル・テルアビブ空港乱射事件。73年本書における主人公の一人である土田國保警視庁警務部長(のちに警視総監)邸爆破事件、日本赤軍とパレスチナゲリラによる日航ジャンボ機ハイジャック事件。そして74年には本書が肉迫する東アジア反日武装戦線のメンバーによる連続企業爆破事件と繋がっていく。
今やソ連を頂点とする共産主義国家、社会主義国家は崩壊し、その思想的バックボーンたるマルクス主義の欺瞞性が明らかになってその権威は地に堕ち、逆にそれを信奉するほうが変人扱いされる現在の状況とは隔世の感だが、当時は本気で、革命こそが正義であり、理想世界を手繰り寄せる近道の手段としてテロが用いられた。
著者の門田は、本書冒頭の“はじめに”で、「彼ら(公安捜査官)の生きざまを通じて、『正義』とは何か、そして、『命』とは何か、どうして人を殺めてもいいという身勝手な思想と論理が許されないのか、そのことを感じ取って」欲しいという。
74年当時の日本は、高度経済成長期から安定期に向かうころだが、その生い立ちゆえに、大学進学に恵まれなかった警察官たちの「正義」と、方や戦後という時代の恩恵をたっぷりと享受し、「親の脛をかじってゲバ棒を振るっているような甘ったれた学生」との激しい攻防という皮肉な構図が描かれている。
犯人グループが依拠した、太田竜などが唱えた「窮民革命論」もそれなりの言い分はあったろうが、目的のためには手段を選ばないその身勝手さに、犯人許すまじという澎湃とした空気と捜査員の気迫が徐々に犯人を追い詰めていく。本書はそこに、被害者家族、マスコミなどいくつもの視点を注ぎ入れ、この凶悪事件の影響の大きさ、事の重大性というものをクローズアップしていく。
しかしそもそもテロの標的となったオフィスビルは、あまりに無防備過ぎたのではなかったか。突如として自分たちに矛先が向かってきたことで無理からぬことだったといえるのかもしれないが、過激派はすでに国会突入まで果たしているわけで、もうちょっとどうにかならなかったか。この辺りから警備会社が台頭してくる契機だったのかもしれない。
また、産経新聞のみが犯人逮捕のスクープを報じたのだが、産経の執念も凄いといえるが、これだけの捜査情報が洩れるとは、警視庁の管理体制も問われる。産経とすれば、報道の自由、国民の知る権利を盾に、実のところ功名心が占めたろう。しかし逮捕状執行の妨害になったり、犯人からの抵抗により、あらたな犠牲者も生みかねない。結果はそうならなかったが、ここは一歩ひいて警察への協力を優先する良心が働いてもよかったのではないか。
さて、なぜ今“三菱重工爆破事件”なのか?
警察の決死の捜査により、犯人グループはついに一網打尽にされた。しかし75年にクアラルンプール事件、77年にダッカ事件といずれも日本赤軍がひき起こした事件が発生し、犯人グループの一部の釈放を要求。時の日本政府は、その要求に従い、超法規的措置によって彼らを釈放、国外脱出させ、今なお逃亡したままである。また土田邸爆破事件も結局未解決のまま、土田國保元警視総監は、無念のうちに事件による犠牲となられた奥様のもとへと逝かれた。
門田は、“おわりに”でこう記す。「東アジア反日武装戦線の若者たちが取り憑かれていった『窮民革命論』は、『反日革命論』につながるものである。(中略)しかも、これへの心情的なシンパは、今も驚くほど多い。それは、今は六十代以上となった団塊の世代、全共闘世代の一部が持つ独特のものでもある。マスコミや言論界の中枢で、今も大きな影響力をもっているこの世代の底流にある考え方は、形式や過激度は違っても、非常に似通っているものがあることに気づく」と。
今般の特定秘密保護法案に対するスタンスをみれば、思い半ばにすぎるというもの。“三菱重工爆破事件”はいまだ現在進行形なのである。
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門田隆将著「狼の牙を折れ」(小学館)を読む
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